1. はじめに
2011年6月1日(水)、Safecast から託された 2台のガイガーカウンタ (International Medcom 社 CRM-100 および Inspector Alert) を持って、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の代表を務めていらっしゃる中手さんにお会いするために、福島市を訪ねました。この記事は、その記録です。
2. 新幹線にて
東京から新幹線「つばさ」で福島を目指しながら、参考までにと思い、たまに車内の放射線レベルを測定しました。宇都宮駅 (停車中) では 0.12μSv/h だった放射線レベルが、郡山に近づくと 0.42μSv/h になり、郡山駅 (停車中) では 0.56μSv/h を記録しました。郡山-福島間では 0.51μSv/h でした。
車内で、走行中にも関わらず高い放射線を検出できることが分かったので、帰りには、より細かに測定を行うことにしました。福島県による児童福祉施設等の放射線モニタリング調査結果をマップした際 ( http://goo.gl/UoMdZ )、県境を越えて放射線管理区域レベル以上の場所が広がっていることは推定できたのですが、福島県外には同様のデータが無いので、どこまで広がっているのか、その境界が分かりません (とそのときは思っていましたが、データはあったようです)。新幹線で南下しながら測定を行うことで、その境界がどこにあるか、当たりが付けられると考えたのです (結果は下の「5. まとめ」に書いています)。
福島市では、いろいろと驚くことがあったのですが、新幹線が福島駅に到着し、そこで降りた人々の服装が普通だったことにまず驚きました。ほとんどの人はマスクをしておらず、中にはTシャツに短パンの男性もいました。私はと言えば、マスクに帽子、長袖でなるべく放射性物質の付着を防げるように滑らかな素材の服を着ていました。
福島駅の新幹線プラットフォームでは、高所にも関わらず 0.58μSv/h が観測されました。
3. 徒歩での放射線測定
いきなり放射線管理区域レベル (3ヶ月で 1.3mSv) 相当の放射線を検出し、いささかうろたえましたが、そんな感覚は、市内を歩き始めて、すぐに麻痺することになります。私が歩いた範囲では、市内で 0.6μSv/h を切ることは無かったからです。
関東と比べると、気温もやや低めだったのですが、肌寒さにも、歩き回っているうちにすぐに慣れました。小雨が降ってきたので、コンビニで傘を買いましたが、街を歩く人や、自転車に乗る人の多くは、傘をさしていませんでしたし、マスクもしていませんでした。
おそらく、大学生だと思うのですが、教員らしき人に引率されながら、体に重りを付けたり、ゴーグルをかけたり、車椅子に乗ったりしながら、駅の近くを集団で移動している姿を見かけました。高齢者の日常を体験する授業か何かだと思います。そういうことを、非常時に実施するとは思えません。好むと好まざるとに関わらず、福島市の人々は、日常を生きているのだと感じました。
小学校のグラウンドの脇にあるバス亭で雨宿りがてら測定したところ、2.36μSv/h が出ていました。幸いなことに、その小学校では、少なくともその日は、屋外での活動は行われていないようでした。通常、私は、放射線フォトマップ等で測定値を公開する際、約90秒カウントした平均をとっていますが、これだけの大きさの値が出ている場合、細かな桁での正確さにはさほど意味がありませんし、ガイガーカウンタの電池の消耗も考えて 30秒程度で十分とすることにしました。
ある高校の校門の前の花壇では、2.31μSv/h を観測しました。土があって、何の処置も行われていない場合は、放射性物質が溜まりやすいと思いますし、植物にも取り込まれると思います。ですので、花壇や植え込みがある場所では、放射線レベルは高めになると想像しています。かといって、コンクリートの表面にも、放射性物質がこびりつく傾向がありそうなことが、Safecast やその他の測定により、分かってきているようです。
今回、特に驚いたことのひとつは、この高校のそばのベンチに腰掛けて、女子学生が、雨の中、傘も何も使わずに、教科書のようなものを読んでいたことです。私は、ガイガーカウンタの表示を見ていたので、彼女が何かの悲壮な覚悟をもって、そこにいるかのような、ただならぬものを感じたのですが、本人は、単に知らなかっただけかも知れません。高い放射線が出ていることを告げると、そこから居なくなりました (変なおじさんに声をかけられたと思ったのかも知れません)。
近くには大学の付属の小学校があり、そこの男子生徒たちが、半ズボン姿で、仲間たちと戯れていました。雨のため、この日、空気中に放射性物質はあまり舞っていなかったかも知れません。それにしても、地表に放射能があることは明らかでしょう。路上で 1.62μSv/h が観測されている中、こどもが素足を出して歩いている、走っている、ということに対し、どうしたらよいのか、私には分からず、途方に暮れました。
その後、主に学校のある場所を iPhone のマップで探して測定を続けながら、橋を渡って南にある NPO 法人 IL センター福島へと向かっていきました。
左の写真は、中手さんにお会いした後の、帰り道に撮ったものです。今回の測定では最大値となる、2.91μSv/h を観測しました。約 1m の高さで測ったものですが、もちろん、もっと低い位置で測れば、もっと大きな値が、福島市の至るところで観測できたと思います。
今回は、塵よけのため、というか結果的には雨よけのために、Monitor 4 にビニール袋を被せて測定をしていたので、α線の影響は無いと思います。ですが β線はそれなりに拾っていると思うので、気になる方は、CPM で考えて頂ければよいと思います。Monitor 4 はセシウム137 のγ線に対して 100CPM ≒ 1μSv/h になるように校正されています (誤差 ±15%) ので、例えば 2.91μSv/h なら、Monitor 4 で 291CPM くらい出ていた、とお考えいただければよいと思います。1秒当たり 4.85 回、カウント音が鳴ることを想像して頂けると、すごさが分かると思いますし、Monitor 4 のガイガー管は、それでも感度が低い部類に入ります。
右の写真は、今回、「福島のこどもたちを守ろう」Facebook ページのアルバムで公開した中でも、最も議論を呼んだ写真です。高校のグラウンドで、雨の中、1.62μSv/h が観測される中 (グラウンドの脇で測ったもので、グラウンド上ではもっと出ている可能性があります)、野球部が練習をしていました。それを見たとき、頭の中が張り裂けそうな感じがしました。
とにかく、私たち大人にできることは、安全な場所で、この高校生たちに思い切り、好きな野球をやらせてあげることだと思います。そのために、私たち、ひとりひとりが、何ができるのか、改めて考える必要があると思います。
今回、徒歩で測定した結果を地図上にマップしたところ、下のようになりました (このマップは http://goo.gl/nRCq2 から見られます)。
赤い丸は、特に放射線レベルが高く、2.0μSv/h 以上の場所を示します。これだけの少ないデータでは、何が言えるわけでもないのですが、ぱっと見た感じで、赤い丸の分布に地理的な特徴があるようにも見えたので、次のように、地形を表示させてみました。
もちろん、このような少数のデータでは何も確定的には言えませんが、山際にホットスポットが生まれている可能性があると思います (福島市全体がホットスポットであることに間違いないのですが、その中でも、特に注意を要する場所という意味です)。今後は、山際の部分を特に測定して確かめるべきかも知れません。
4. 中手さんとのお話
NPO 法人 IL センター福島にて、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手さんとお会いしました。
早速、2台のガイガーカウンタをお渡しすると、中手さんは笑顔で受け取ってくださいました。すでに、Inspector Alert を含む多くのガイガーカウンタを寄付にて取得されているそうですが、Safecast から今後も継続的に測定器が提供されることを期待してくださっているようです。
Safecast では、一般の方々からのデータの投稿を受け付け、マップ上に共有・公開していますが、そうした活動に、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」のみなさんの出来る範囲でこ協力いただけると、より多くのガイガーカウンタをお渡しできることに繋がるのではないでしょうか、というお話をさせていただいたところ、「自分たちが測定することで、他の人々もガイガーカウンタを持てるようになる」という考えは、相互扶助の気持ちが特に盛り上がっている今、効果的に働くのではないか、と仰ってくださいました。
福島市では、木造家屋などの場合、屋内でも 0.6μSv/h を超える場所もあるそうです。多くの方々が、自分の身の回りの放射線量を測り、避難すべきかどうかの判断の参考にするために、ガイガーカウンタの使用を希望していらっしゃるそうです。こうした地域に、多くの測定器を届けることは、急務であると改めて感じました。
中手さんは、誰かによる「今回の事故でむき出しになったのは燃料棒だけではない。日本にこれまであった問題や、良い点も、むき出しになった」という言葉を引用しながら、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の活動の経緯について説明してくださいました。あまり「善意」という言葉は軽々しく使いたくないと断りながらも、みなさんの心の中にあった、いわば善意や、絆というものが、行為に現れてきたといいます。
こどもたちを守りたいという気持ちは、親であるからには、昔からあったでしょう。でも、日常を生活していく中で、つい邪魔くさそうにしてしまったりとかで、その気持ちが表に現れる場面は、あまりなかったかも知れません。ですが、この事故を契機に、親たちの、その気持ちが、素直に行動として現れたのだといいます。
福島の人々には、何事にも堪え忍ぶ、我慢強い県民性があったといいます。特に、福島市や郡山市のある中通りの地域はそうだったといいます。多少のことでは、事を荒立てない風潮があり、何かの会議をしているときでも、しーんとしている時間が長かったといいます。しかし、今回ばかりは、一斉に行動し、喋り出しました。積極性や、助け合いの精神といったものが、一気に前面に出てきたといいます。
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の活動は地域に根ざしたものであり、避難や疎開を考えている方々への支援や、除染と測定、そして、放射線に関する知識の獲得や、その普及と、それによる防護を推し進めているといいます。政府や県の発表について、海外メディアはすぐにプロパガンダであると指摘しましたが、それに対抗してこどもたちを守るためには、知識が必要です。そのための情報発信と、ネットワーキングに努めており、その活動は福島県の広範囲に広がりつつあります。現在、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は、中手さん宅のこども部屋を事務所として使用しているそうです。お子さんは、奥さんとともに遠方に疎開しているといいます。
「チェルノブイリの時と、なんといっても違うのは、インターネットの存在」と、中手さんは言います。誰もが情報へのアクセスを持ち、ニューヨークタイムズといった海外メディアの記事さえも読めるのですから、もはや、情報を隠蔽し続けることは、誰にもできません。また、阪神淡路大震災後から活発になった NPO の活動も大きいといいます。これらふたつが、状況を別なものにしており、そこから希望が生まれるといったお話を、中手さんはしてくださいました。
インターネットの研究を続けてきた私にとって、嬉しい言葉でした。
5. まとめ
帰り道、駅に近づくにつれ、多くの人々とすれ違いました。多くの人々は、普通に仕事の帰り道であったり、こどもたちは塾に行っていたり、日常の夕暮れがそこにはありました。放射線のことさえ知らなければ、ここが、住み続けるには、少なくとも今のままでは、問題の大きな場所であるとは、誰も思わないでしょう。もちろん、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」のように、避難のための活動を進めている方々はいらっしゃいます。しかし、果たして、ここで生活している人々の多くは、何を思っているのでしょうか。
その胸の内までは、今回の短い訪問では測り知ることはできませんでした。
帰りの新幹線では、放射線レベルが高い場所がどこまで南に延びているか、おおよその当たりをつけるために、走行中の車内で継続的に測定をしてみました。その結果のマップが下のものになります (このマップは http://goo.gl/OnH90 から見られます)。
そもそも、高速で走行中であり、広範囲の場所からのγ線を拾っているだろうこと、トンネル内ではカウントが激減することなどから、正確なデータでは全くありませんが、傾向は見て取れると思います (トンネル内で放射線レベルが下がることは、車内ではなく外部に放射線源があることを示していると思います)。
この結果から、私は、放射線濃度が特に高い場所が、南の方では栃木県大田原市くらいまで延びているのではないか、という感触を得ました (このことは、群馬大学の早川教授により作成された等値線マップにより後に確かめられました)。
6. 後日談
Safecast からの2台のガイガーカウンタは、この 2日後にはテスト運用に回されたといいます。測定値の共有・公開がうまくできているかは分かりませんが、うまくいっていないとしたら、どうしたら、現地で放射能に悩み、こどもたちのために安全な環境を用意したり、安全な場所に避難したいと、そればかり考えている人々にとって、測定値の共有や公開に参加することが容易になるか、改めてシステムの設計上の問いとして考えてみる必要があると思います。
連日、多くの人々が、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」のメーリングリストに避難の相談を寄せています。先日は、医師を招いた、こどもたちの健康相談も行われました。しかし、毎日、屋外で部活動に励んでいる高校生たちの姿はなかったといいます。
高校生といえば、またひとつ、新たな問題が出てきました。震災や原子力発電所の事故を受け、開催が再検討されていた、「ふくしま総文-第35回全国高等学校総合文化祭-」( http://www.fukushimasoubun.gr.fks.ed.jp/ ) が福島県内外の各会場で 8月3日から5日間、開催されるといいます。会場の中には、高い放射線が観測されている福島市や郡山市も含まれています。全国から6,000人を越す高校生たちが、福島県に集まるとのことですが、余震も、原子力発電所の事故も、収束に向かっているとは言い難い中、訪れる高校生たちの安全を守ることが果たしてできるのか、私たち大人の見識と覚悟が改めて問われているように感じます。